イタリア旅行⑧<バチカン編・最終日>

2015/10/14

海外旅行

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イタリア旅行⑧<バチカン編・最終日>

 いよいよイタリア旅行も最終日。ヴェネツィアの寒さにやられた身体はいまだ回復せず、最終日に至ってわりと最悪な体調である。最終日のこの日はバチカン市国へ。バチカン市国は、ローマの中にある世界で一番小さな国で、いわずと知れたカトリックの総本山である。当然、聖地であるため半ズボンやノースリーブで入ってはいけない。
 宿泊したH10ホテルから少しバスで走ると、あっという間にバチカン市国に到着する。バスから降りて、まずはバチカン美術館へ入るために並ぶ。キーホルダーや写真みたいなものを売りつけようとするあやしい外人が、やたら「ワンユーロ、ワンユーロ!」と言って近寄ってくる中、10分くらい並んでようやく入場。


 少し中を見学したあと、中庭みたいなところでパネルを見ながらガイドがやたらと長い説明を始めた。これから行く「システィーナ礼拝堂」にあるミケランジェロの「最後の審判」の絵などについて一生懸命説明しているのだが、興味ない人が聞いてもあまりよくわからない話で、ここまで長い時間をかけて説明する必要があるのかと不思議に思うのだが、あちこちに同じ看板があり、そのいずれもでガイドが同じように説明しているところを見ると、何かノルマのようなものでもあるのだろうか。

「ピーニャの中庭」

「最後の審判」の説明看板

中庭からみた「サン・ピエトロ大聖堂」

 とにかく長い長い説明の後、美術館に戻り奥に進んでいく。壁にも屋根にも絨毯にも、「これでもか」というほどの芸術が展示されており、もう押し付けがましいほどのフルコースなのである。はっきり言ってどこを写真に撮っていいのかわからないくらいなので、片っ端からパシャパシャやったが、帰国した後、あまりの似たような写真の多さに笑ってしまったぐらいだ。
 そしてこのルートのゴールは「システィーナ礼拝堂」。壁一面に絵画が描かれており、正面にはミケランジェロが6年の歳月をかけて描いたと言われる「最後の審判」の壁画がある。写真やビデオ撮影は一切禁止のため、いかつい警備員がギラギラ目を光らせて見張っている。また、少し騒がしくなると、放送で「サイレント、プリーズ」と言うのも、厳粛な雰囲気づくりに一役かっている。



 ここまで来て、すでに私の身体は限界に来ており、熱もあり頭痛もひどい。解熱剤を飲んで何とか回復を待つ。

 次はサン・ピエトロ大聖堂の中に入る。まさに「大トリ」といった感じで、イタリア・ローマ文化を象徴するような大聖堂は、世界最大級の教会である。ここで、ツアー客の一人が行方不明になるという小事件が勃発するが、何とか無事見つかる。正直、この人ごみのなか、イヤホンガイドで説明を聞きながら、この荘厳な眺めに見とれていたら、迷子になるのもよくわかる。




 ちなみに、バチカン市国ではあちこちに、派手な服を着た兵隊を見かける。これは、スイス人の傭兵なんだそうで、昔からローマ教皇の傭兵としてバチカン市国を守ってきた経緯があり、イタリアに囲まれたこの小国をイタリア人ではなくスイス人が守っているというあたりが、バチカン市国のプライドなのだろうか。

 最後にサン・ピエトロ広場で、サン・ピエトロ大聖堂をバックに、子どもたちが添乗員さんと一緒に写真を取ってもらう。サン・ピエトロ広場は、テレビでも見たような風景で、今にもローマ教皇が大聖堂のベランダから顔を出して演説しそうな雰囲気である。ここに何十万人ものカトリック教徒が集結する姿を想像してしまう。



 もう思い残すことはなし、いろんな意味で圧倒的なパワーと文化の違いをまざまざと見せつけられたイタリアの超強行日程ツアーは終わった。最後まで迷子になることなくついていけたことが何よりも一安心である。

 ローマのフィウミチーノ空港へはバチカンからバスで30分くらい。途中、レオナルド・ダ・ヴィンチの大きな銅像があり、最後の写真を撮った。


 解熱剤のおかげでようやく少し体調もよくなり、空港での手続きに最後のひと踏ん張り。まずアリタリア航空のチェックイン。受付けてくれたのが日本人スタッフで、なんとなく一安心したのを覚えている。


 その後セキュリティチェックで、大量に買いためたアクアミネラーレ(ミネラルウォーター)の飲み残しとおさらば。パスポート検査も終えて最後に免税の手続きへ。まずは税関に行き、カプリウォッチを買ったときにもらった書類を提出。書類には、名前やパスポート番号、住所を書く欄があり、住所をどうやって書いていいかわからず添乗員さんに聞いてみたが、「クレジットカードへの返金なので、書いた住所に何かが送られてくるわけじゃないので、適当に書けばいい」と言われ、本当に適当に書いて出し、税関のスタンプをもらう。ここまではよかったのだが、その後、税関の隣にあるカウンターで免税手続きをするよう添乗員さんに言われたので、そこに書類を出してみるのだが、受付のイタリア人女性は書類を見るなりあきれた顔をして首を降って「ノー」と冷たく言い放つ。再度チャレンジしてみるが、相変わらず見向きもしてくれない。一体何が彼女をこんなに不機嫌にさせるのかが全くわからないので、困り果てて添乗員さんに聞いてもらったところ、「その書類はここで受付はせず、もらった封筒に書類を入れて郵送すればいい」ということらしい。だったらジェスチャーでも何でもいいから説明くらいしてくれよ!と憤慨するのだが、この国の人は、言葉の通じない人間にそんな面倒なことはしない。とにかく上から目線この上ないのである。何せこの国のスーパーのレジでは、店員が座ってて客が立ってるんだから。こういった態度が誰に対してもなのか、アジア人相手だからなのかは不明である。
 ちなみにイタリアの空港にもポストがあり、ここに先ほどの免税書類を入れてもいいらしいのだが、「イタリアという国はとにかく郵便事故が多く、きちんと目的地に郵便が到着するか怪しいとのことで、イタリアのポストに入れたらいつまでたっても返金されない、という事例がよくあるので、日本に帰ってから、エアメールで日本の郵便局に託した方が返金される可能性は高い」とのアドバイスを添乗員さんからもらった。いやはや、素晴らしい国である。(ちなみに、日本からこの郵便を送ったところ、2~3か月後にクレジットカードに無事返金された。)
 とにもかくにも、すべての手続きが終わり、いよいよ帰路につくこととなった。出発を待つ間、おなかがすいたので、チョコ入りクロワッサンを購入し、最後のアクアミネラーレを買った。やはりイタリアのクロワッサンはおいしい。

 飛行機は相変わらずの首がいたくなる座席で、機内食ではイタリア食にやや胸焼け気味だったため、今度は自ら日本食を選んたが、米はボソボソであまりにマズく、さすがに残してしまった。サーモンの刺身と醤油があったので、久しぶりの刺身だー!と喜んで醤油をつけて口に入れたが、実はマリネだったというオチもついた。


 アリタリア航空に関して言えば、乗り心地や機内食は筆舌に尽くしがたいが、定時刻で無事にトラブルも運行してもらえたことは本当によかった。無事、成田空港につき、ここでツアーは解散。添乗員さんや顔なじみになったツアー客さんに別れを告げ、いざ札幌へ。ツアーの都合上、成田からリムジンバスで羽田へ移動し、羽田からの新千歳空港行きに乗る。羽田では久しぶりに日本のラーメンに舌鼓を打ち(正直、札幌のラーメンと比べるとそこまでおいしくはないが、イタリア料理に食傷気味であったため、大変おいしかった)、無事、新千歳空港へ到着することができた。結局、現地ではユーロをATMでおろすこともなく、現金は手持ち分で何とかなった。

 今回は初のヨーロッパであったが、とにかく教会や建物はいちいちすごく、古代ローマ時代の建物から、中世ヨーロッパの建物、彫刻、絵画など、よくぞ人間がこんなものを作ったものだというくらい、壮大で豪華、かつ繊細な作品の数々が、これでもかというくらいのフルコースで堪能でき、ローマにいたっては普通の建物一つ一つが映画のセットのような趣がある。教科書では全く興味が湧かないヨーロッパの歴史や文化も、実際に見て体感することで俄然、いろいろ調べて見ようという気になる。やはり歴史は本で見るのもいいが、実際にその一端を見てみることがいかに楽しいことなのか、ということがよくわかった。その一方で、これらの圧巻のコンテンツの多さから、人々は観光客をもてなすどころか、金をふんだくろうという意識ばかりが目立ち、かなり不親切で、また法律もまともに守らない国民性は日本人にはやや不快感を持つ人も少なくないだろう。しかし、「ボンジョルノ」、「グラッツエ」と言いながらずーっとおしゃべりしてるなど、人とのコミュニケーションを大切にし、また我が子たちを見ては「オー!」と言っていろいろ話しかけ、たびたび御菓子をくれるなど、人懐っこいところもあり、とにかく子どもがそのまま大人になったような人たちの集まりなのだと感じた。文化が全く違うので、日本人から見ると極端にいい面、極端に悪い面があり、イタリアは何もかもが素晴らしい国だとも思わないし、かといってやっぱり日本が一番などと野暮なセリフを言うつもりもない。それぞれ一長一短があり、それでも日本では絶対に経験できないものを得て帰って来たことや、逆に日本文化の素晴らしさをあらためて感じたことは、人として一つ大きな経験値を得た気がするし、それこそが海外旅行の一つの面白みなのであろう。
 今回は添乗員さんがサバサバした人で、要所は押さえるが、過剰なサービスはせず、きちんと大人として一人一人が自己責任で考えて行動してね、という厳しい面もあり、でも困ったらお手伝いしますよ、という、私にとっては心地よいサービスだったし、子どもたちもあだ名で呼ぶほど添乗員さんが大好きだったようだ。またツアーの人たちも新婚さん、ベテランご夫婦、母娘、友人など様々なみなさんの人間模様を見学させていただき、またその中で交流もあり、ツアー旅行も悪くないものだなと思った。
 また、我が子たちはよくこの強行ツアーにへこたれずについてきたと思うし、建物や美術品などを見ても子どもにとってはつまらなかったろうに、よく文句も言わず楽しんでついてきてくれたと思う。グローバル社会を生き抜く時代に、これからの人生、何か一つでも彼女たちの心に刻まれたものがあればいいと思う。またいつか、今度は夫婦二人で、もう少しゆったりとしたツアーか、またはもう少し経験値が増えたら個人旅行で、再びイタリアに訪れて、また自分の人生を大きくしてみたいという思いを強くした。

 そして最後に。ヴェネツィアでぶり返した風邪は、この後約1か月ほど私の身体を苦しめることとなった。体調が悪くても静養できず、薬を飲んで無理やり熱を下げてしまったため、完全にこじらせてしまったようだ。みなさんも海外旅行に行く前には、持ち物の準備よりも何よりも、体調を万全に整えることが何より大切であるということを申し添えて、イタリアの旅の記録としたい。

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