イタリア旅行➄<フィレンツェ編>

2015/10/11

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イタリア旅行➄<フィレンツェ編>

 起きるとなんとなく具合が悪い。測ってみると37℃台前半の熱が。出国前に引いた風邪が、前日のヴェネツィアの寒さでぶり返したようだ。それでもまさか寝ているわけにもいかず、風邪薬を飲んでがんばって朝食会場へ。朝食は今までと同じくイタリアンスタイルだが、今までと違ったのは、最初からテーブルの上に人数分の大きなクロワッサンがドンと置いてあり、その他簡単なハムやチーズなどをバイキング形式でつまんで食べる感じ。

 昨日遅めの到着だったことから、バスの運転手さんに十分な休憩を与えるため、予定より15分遅い8時45分の出発となった。まずはバスで「ミケランジェロ広場」へ向かう。フィレンツェは世界史でもおなじみ「ルネサンス」文化の中心都市であり、その中心的人物、ミケランジェロもフィレンツェ出身であり、彼の名が冠されたこの広場は小高い丘の上にあり、広場の真ん中に大きなダビデ像の銅像が立っている。そして、その丘からはフィレンツェの旧市街地の様子が上から一望できるのだが、これが写真などでフィレンツェの紹介がされているときによく使われる風景であり、ドーム型の「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」が特徴的なこの景色はパンフレットなどで見覚えがある。全体がレンガ色でコーディネートされたような街並みは見事で、日本のものとはまた違った趣のあるすばらしい景色なのである。そこに10分ほどいた後に、その旧市街地へ実際に行ってみる。



 バスは途中までしか入れないので、降りてひたすら歩く。この日は前日とは打って変わって暖かかったのだが、風邪薬を飲んだとはいえ、さすがにこの長距離移動は結構キツイ。途中ヴェッキオ橋という、外から見ると建物のような橋を外から見物し、そして実際に行って少し渡ってみる。「橋」というよりはショッピングストリートのような感じで、高級ブランドの店舗などがあり、観光客もものすごく、泥棒が多いらしい。

ヴェッキオ橋

ヴェッキオ橋からみた景色

 その後、現地ガイド(日本人の女性)とともにウフィッツィ美術館に入場する。イタリアの美術館がみんなそうなのかは知らないが、入場前にかなり厳重なセキュリティチェックがあり、まるで空港のようなのだ。貴重な美術品を守るためには仕方のないことなのだろう。ただ、あの人混みの中で、服の下の腹巻に入れた貴重品を出し入れしなければいけないのは、かなり面倒だったことだけはハッキリと覚えている。
 美術館では、ミケランジェロやボッティチェリ、ダ・ヴィンチなどの主に絵画を駆け足で見て歩く。知識のない我々は、よほど有名な絵画じゃない限り見たことがないので、「ヴィーナスの誕生」とかくらいしかわからなかった。しかし、メデューサの絵や「小人モルガンテ」、酒の神バッカスの絵など、かなりインパクトのある絵もたくさんあり、十分楽しめた。

『ヴィーナスの誕生』 ボッティチェッリ

『メデューサの首』 カラヴァッジオ

『小人モルガンテ』 アーニョロ・ブロンズィーノ

『バッカス』 カラヴァッジオ


 美術館見学後は免税店の案内があり、その後シニョーリア広場へ。イタリアはどの観光名所に行っても「●●広場」というかなり大きめの広場があり、そこにはものすごい数の観光客がうごめいているのだが、ここも例外ではない。広場にはダビデ像をはじめ、ネプチューンのほかいろいろな彫刻が並んでおり、記念写真スポットがたくさんある。もともと「ウフィッツィ」とは「オフィス」の意味らしく、メディチ家がフィレンツェを支配していた時代の行政事務所が今の市役所になっているらしい。このようにイタリアでは、過去の素晴らしい建物を市役所等の庁舎として今も使っているという例が結構ある。日本国内を旅行して、市役所を見に行くことなどほとんどないが、イタリアでは市役所が過去の素晴らしい建物だったりする。まぁ我が北海道にも「道庁赤レンガ」という素晴らしい施設があるわけだが。



 また、朝方にミケランジェロ広場から見たドーム型の屋根が特徴の「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」も目の前で見ることができた。ミラノのドゥオモとは違い、赤煉瓦色の優しい感じのする建物で、ずっと見ていても感動するしかない。中にも入ることができたが、あのドームの裏側の屋根には「最後の審判」が見事に描かれていた。



 その後、少しだけ自由行動があり、添乗員さんが教えてくれたジェラート屋へ行ってみる。広場の端っこの方にある小さなジェラート屋だが、チョコのジェラートを頼んだところ、今までイタリアに来て食べたジェラートで一番おいしかった。今までは甘過ぎたり、妙な味がしたのだが、ここのは濃厚なチョコがとてもおいしかった。



 フリータイム終了後、中華レストランへ。まさかイタリアに来て、しかもこんな「ルネッサ~ンス」な雰囲気の街で中華料理を食べるとは夢にも思わないわけだが、中華料理屋のスタイルは日本もイタリアも一緒で全くブレがない。円卓に中華スープから始まり、春巻き、からあげ、麻婆豆腐、八宝菜、チャーハンなど次々に休む間もなく出てくる中華料理攻撃に悲鳴をあげながら食べる。この頃にはだいぶ具合も悪く、とても完食できる状態ではなかったので、おいしかったのだが結構残してしまった。

 食事のあと駅まで歩き、イタリアの新幹線「イタロ」のナポリ行きに乗ることとなる。「イタロ」は赤いカッコいい新幹線で、車両がホームに到着するや、ツアー客がみんな写真を撮る風景はさながら「撮り鉄」状態で、その「撮り鉄」たちを、中に乗っていた乗客がさらに写真に撮るという珍しい光景もお目にかかることができた。


 新幹線は300km/hのスピードで快適に進み、車内では添乗員さんと少し話をする機会があった。海外で大勢の素人を連れて歩くのは大変だし、今までもいろいろトラブルもあったものの、やはり旅行が好きで、その魅力をたくさんの人に伝えたくてこの仕事をしているという気持ちが伝わってきて、いい添乗員さんに当たってよかったな、と思ったものである。新幹線はおよそ2時間半ほどでナポリに到着する。

 我々は新幹線で一足先にナポリ入りしたので、今までのバスの運転手さんは今日中にナポリに来ることになっており、明日の朝までお別れ。ナポリでは今までと違うバスで、夕食のレストランまで向かう。イタリアの主要都市はどこに行っても車の渋滞が結構酷いが、ナポリはその中でも特に渋滞がものすごく、道も悪く、ゴミだらけなのだ。添乗員さんの説明によると、自治体にお金がないらしいく、イタリアでは北(ミラノなど)が働いて南(ナポリなど)を食わせていると、ミラノ人が怒るくらいなんだそうで、イタリアの南北格差に思いを馳せる。渋滞の中、ようやく到着したレストランは、ここに来てイタリアではじめてのビッツェリア(ピザを主としたレストランのこと)。もちろんデリバリーではなく、店内でお召し上がりなのだ。運ばれてきたのはシンプルな味のマルゲリータ。子どもにも分け隔てなく丸々一つが一人ずつ当たる。この頃には体調の悪さはピークに達しており、半分しか食べられなかったが、具合が良くても完食できたかは疑問である。デザートのボッソボソのチョコレートケーキも印象的で、これでテーブルチップを置けとのことだから、びっくりである。今までのレストランでは、テーブルにチップを置いていくことを添乗員さんから求められることはなかったが(置きたい人は置いていたのかもしれないが)、どうやら通常の営業時間より早くやってもらったから、ここは特別に置いていってほしい、とのことであった。


 食事の後、渋滞の道をノロノロと40分ほどかけてアメリカンホテルへ到着、なぜナポリなのに「アメリカン」なのかはよくわからないが、自ら四ツ星を看板にあしらっているあたりが憎い。部屋はセカンドルームもあり広くていいのだが、最初からシャワールームのお湯がチョロチョロしか出ないし(イタリアでは夜になるとお湯があまり出ないホテルが多い)、トイレのドアの敷居も壊れてるし、テレビはブラウン管だし、夜中に大声で人の話し声や音楽が聞こえるなど、至れり尽くせりの四ツ星ホテルであった。(次の日に周りに話を聞くと、「そうとうヤバそうな人たち」が夜中に騒いでいたのだそうだ。)



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